昔の大将が軍議を開いて、どういうように戦さをしたものだろうかと、皆にはかたった場合、各武将はそれぞれ意見を言います。
それで大将が、「では、こういうようにやろう」ということで、衆議はまさに決せんとするときに、ずっと末席に坐っていた地位の低い人が、「しばらくお待ち下さい」と言う。
「何事だ。今まさに軍議が決しようとしているのに、何だ」「私は今決定せんとしていることに反対です。私はこう思います」と言う。
賢明なる大将であれば、それを静かに聞いてみて、なるほどと考えます。もし大将が謙虚な心を持っていなければ、末座から出た意見を葬(ほうむ)ってしまいます。
しかし、謙虚な大将であれば、耳を傾けて聞きます。そしてその人の言うことに一理あるとなれば、「ちょっと待て。この軍議の決定は、もういっぺんやり直しだ」。そして、軍議の決定を変えるということが、よく昔の物語に出てきます。
そういう衆知を集めた軍議というものが大切なのです。末席に坐っている人が、遠慮なくものが言える空気をつくることが、長たる人の心得だと思います。
また、そういうことを喜んで聞くという雅量を持っているかどうかということです。長たる人がそれを持っていなかったならば、その会社はうまくいかなくなってしまう。そういうことが長たる人にとって非常に大事だと思うのです。
(『道は無限にある』116頁 昭和50年刊)
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(江口克彦のコメント)
あの会社は、社内の風通しがいいとか、俺の会社は、社内の風通しが悪いとか言っているのをよく耳にします。
とくに、会社の業績が悪くなると、そう言って嘆く社員の方々が多くなります。そして、その原因は、肩書で呼び合うからだとなる。だから、「肩書呼称」はやめようじゃないか、「さん付け呼称」にしようと言い出す。
しかし、そうかもしれませんが、それが社内の風通しが悪い根本原因かと言えば、必ずしも、そうではないと思います。
家族の会社とか、小規模企業は別として、「さん付け呼称」をすれば、風通しをよくすることが出来るなら、全企業が、「さん付け呼称」をしているはず。しかし、多くの会社が「肩書呼称」で、業績をあげています。
要は、社内の風通しの良し悪しは、呼称の問題ではなく、一人、大将の、社長の言動で決まるということです。
松下幸之助さんが言うように、末席の部下の意見も真剣に耳を傾け、良ければ、その意見を躊躇(ちゅうちょ)なく取り入れる。そういう和顔愛語で、社長が部下の話を聞く雰囲気があるかどうか、末席に坐っている部下が遠慮なくものが言える空気をつくることが出来ているかどうか、その一点で、社内の風通しの良し悪しは決まるということです。
末席の部下の声を聞く雅量、度量が、社長にあるかどうか、呼称云々(うんぬん)の枝葉のことではなく、社長自身が省(かえり)みる、あるいは、社員が社長に諫言(かんげん)出来るかどうかにあることは知っておいたほうがいいかもしれません。
(※欧米企業が、名前で呼び合うのは、降格、解雇、ジョブポピング(転職)が頻繁に行われるからです。)
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。