第19回 松下幸之助の経営心話 【治に居て乱を忘れず】

よく「勝負は時の運」と言われるが、やはり勝つべくして勝ち、負けるべくして負けるというのが本来の姿ではないだろうか。

いまは、かつてない不況で、経済界はお互いにどこも苦しいのは事実である。だから、業績があがらない場合、「これは不景気のせいで、仕方がない」というように考えても、それは当然といえば当然だと言えよう。

しかし、そういう“不況だから”ということを、自分自身に対する弁解とし、それをもって、みずからよしとしているとこがありはしないか。かりにもそういうことがあれば、それは成功につながるものではないと思う。

不景気が自分のせいではないにしても、はたしてこれまでの好景気の時に、いわゆる「治に居て乱を忘れず」というように、それなりの備えがしてあったかどうか。

そうしたことが平時からできていれば、不景気だからといって、それがそのまま、業績の悪化を生むとはかぎるまい。

とかく、うまくいかない原因を他に求めて、みずから安んじたくなるのも人間の一面であろうが、やはり経営者たるものは、それではいけない。

原因は、すべてわれにあり、という思いに徹してこそ、失敗の経験も生かされ、成功への道がひらけてくるのだと思う。

(『経済談義』昭和51年10月20日 読売新聞掲載)

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(江口克彦のコメント)

「治に居て乱を忘れず」という言葉があります。同じ意味で、「安(あん)に居て危(き)を思う」とか、「太平にも乱を忘るべからず」などがあります。

いずれも、順調なとき、好況なときに、逆境のとき、不況のときのことを想定して、その対策をしておきなさいということだと思います。

逆境、不況になって右往左往するのは、「物、壮(さかん)なれば、すなわち老(お)ゆ(物壯則老)」(『老子』)という道理を忘れていたのか、軽視していたからでしょう。

確かに「これは、世の中全体の災禍、不況のせいで、仕方がない」と開き直っても、諦めても、実際に、「痛い思い」をするのは、自分自身なのです。

日頃から、平時から、災禍のとき、不況のときになったときの、それなりの対策をしていれば、災禍だから、不況だから、といって、狼狽(うろた)えることも、右往左往することもなく、経営が極端に悪化することもないでしょう。イソップ寓話の『アリとキリギリス』は、お互いによく承知していると思います。

不況時、これはもう仕方ないとしても、今一度、この寓話の意味するところを思い起こし、不況時後の平時の経営のあり方、商売の進め方を、よくよく考えておくことが大事ではないでしょうか。

ゆめゆめ、うまくいかない原因を、不況のせいにする勿(なか)れ。経営者一人の責任、いっさいの原因は、災禍に備えなかった「われにあり」と思う経営者が、結局は、不況の終息に間髪入れず、脱兎の如く飛び出し、いち早く立ち直ることが出来ると思います。

2024.10.01
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投稿者

江口 克彦

講師 江口 克彦

松下幸之助のもとで23年間、直接指導を受ける。 現在、経営者塾を主宰して、松下幸之助の経営哲学の講義を続けている。札幌の「松翁会」、名古屋の「壷中の会」など全国数ヶ所で行われている。            内閣府 沖縄新世代経営者塾 塾長、憲法円卓会議 座長、内閣府 イノベーション25戦略会議 委員、内閣総理大臣諮問機関経済審議会 特別委員、松下電器産業株式会社 理事等を歴任。

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