物事がうまくいかない場合には、とかく、こういうことが原因でうまくいかなかったのだ、ということをよく考えるものです。
しかし、そういういろいろな困難な原因も、事前に察知して除去していれば、問題は起こりません。すなわち、用意周到な計画を立てて実行しておったならば、失敗というものは、ほとんどないといってもいいと思うのです。
ところが、実際には、次々と失敗があるというのは、日頃、為すべきことをしていない、そういうところに多くの原因があるのです。
そして、反省すべき点は、他に求めず、自分にあると考えねばなりません。
競争が激しいから、経営が困難になったということは、その会社なり商店が、日頃から、為すべきことをしていないから、困難を感じるのです。為すべきことをなしていれば、激しいだけ、返って、高く評価されて、お得意が集まってくることにもなると思います。
それが反対に、他にお得意をとられてしまうということは、やはり、日頃から為すべきことを為していない、また、お得意を集める実力というか、魅力に欠けるところがあるから、そうなるのだと思います。
そして、後になって“ああいうことがなかったら、うまくいったのだ”と、お互いに慰め合うわけです。傷を舐め合う。
そのような慰め合い、舐め合いより、深い反省、原因の追及をし、一人ひとりが、すべての原因は、自分にあるのだと考えねばなりません。
そうすれば、失敗は絶無になると言ってもよいのではないかと思うのです。
(昭和34年10月 営業所長会議)
※※※※※※※※※※※※※※※※※
(江口克彦のコメント)
火事になる。大火事になる。燃えさかる炎に狼狽(うろた)えて、バケツ一杯の水をかけてみる。友人が持ってきてくれた小さな消火器を必死に使う。しかし、それで大火事がおさまるわけはありません。
そのうち、サイレンを鳴らして、消防車が駆けつけてくれますが、もはや、延焼を防ぐのに精一杯。ただただ崩れ落ちる我が家を呆然として見ているだけとなります。
どうして、大火事になって全焼してしまったのかというと、日頃から、消火器を要所要所に配置しておくとか、スプリンクラーをつけておかなかったからです。
経営、商売も同じこと。常に「消火器」を用意しておく、「スプリンクラー」をつけておく。いわば、内部留保を貯めておく、ムダを徹底的に排除しておく、社内の風通しをよくしておくとか、そのような為すべきことを、日頃から為しておけば、大火事になる前に、ボヤ程度でおさめることが出来るでしょう。
そのためには、ボヤのときに、徹底して反省する、こうなったのは、自分に責任があると考える。
そういう反省にたって、改善改革をしていけば、失敗は絶無になるということでしょう。
不況は、私たちに、松下幸之助さんの「日頃が肝心」、「常の準備が大事」ということをしっかりと教えてくれているようにも思います。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。