これ(5カ年計画)で、松下電器の資本金は、現在の30億円から、5年先には100億円になる。では、儲かる(利益があがる)か、収益が上がるかというと、これは必ず儲かる(利益があがる)。また、儲からない(利益があがらない)ようでは、一種の罪悪である。
我々が社会から資本を預かり、人を集め、多くの資材を使って、何の成果もあがらないということは、社会的にも許されないことである。
利益は、われわれが働いた余剰が形になって現れたもので、この余剰が広く社会に及んで、共通の繁栄の基礎になる。
たとえば、わが国の多くの人が、プラスになる仕事をせず、儲けない(利益をあげない)でいたならば、日本は、たちまち貧困になってしまう。儲ける(利益をあげる)ということは、社会全体の繁栄のために非常に大切なことで、お互いの義務であり、責任でもある。
こういう考えで働けば、会社の収益も上がり、従業員の皆さんにも業界第一の給与を逐次支給することができるようになると思う。
それが、もしも、できないならば初めから、こんな仕事は、やらないほうがよい。やる必要がない。
(昭和31年1月 経営方針発表会で、松下電器5カ年計画を発表)
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(江口克彦のコメント)
「社会に貢献した報酬として、社会から与えられるのが、適正利益である。」(松下幸之助著『実践経営哲学』32頁)
「もし、利益は、好ましくないということで、すべての企業が利益をあげなかったら、どうなるか。」(松下幸之助著『実践経営哲学』36頁)
「オヤジ(松下幸之助)は、営利を取る(儲ける)側に立っていたにもかかわらず、社会正義との調和ということを、終始一貫追求していました。」(丹羽正治著『「営利と社会正義」の経営』129頁)
「正当な道を踏んで得らるるならば、富を積め。」(渋沢栄一著『論語と算盤』―仁義と富貴―)
興味深いのは、江戸初期の曹洞宗の禅僧・鈴木正三(すずき しょうざん)が、著した『万民徳用』のなかに、「商人日用」がありますが、利益について触れている箇所があります。
「売買をする人は、まず利益を増すような心遣いについて修行すべきである。私欲に耽(ふけ)り、自分だけの儲けを思う人には、天道の祟(たた)りがあって、万事が思うようにいかなくなる。」(加藤みち子訳)
このような利益観、儲け観は、なにも松下幸之助さんが言い出したことではなく、昔から、いわば、「日本的経営の系譜」として、連綿として流れていたことということでしょうね。そのような経営観、商売観を、松下幸之助さんは、「儲からないようでは、一種の罪悪」、「赤字は罪悪」と象徴的に指摘したと思います。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。