私がもし非常に頑健な体やったらね、めんどうくさいから自分がダーッとやるということですな。けれども自分はそれができない、だからどうしても私は人を信頼し、人に頼む、人をしてやってもらうということになってきたわけです。
そうですから、事業部制というものはね、もう30年前からやっているんですよ。きみはこれを担当してやってくれ、そして一切の経営はきみがやってくれ、まあ、こういう主義でですね、工場でもやってきたわけです。
それが私がつまり要するにワンマン経営者のごとく見えて、ワンマン経営者でないという一つの姿ですな。全部各人びとを中心に仕事をしてきたわけですな、早く言えば。それがまた松下電器が一つの成功の原因になったわけですな。
それともう一つは、私がまあ、ご承知のように学問がありませんわね。自分が学問がないから、どんな社員でもぼくより偉いんですわ、早く言えば、ね。みんな偉く見えるんですよ、私には。だから、これも(衆知を集めて)人を使う上において、非常にプラスしてます。
やっぱし人間は、それぞれ、つまり天命というものがあると私は思うんですね。まあ人生が100%で申すならば、決まった運命というものが70%、あるいは80%あるんだ。あとの20%だけがですね、知情意の働きによって、それ(人生)を左右することができるんだ。
そうみるとね、成功したからというて、いかにも自分の腕でそれをやった、というような誇りもね、別にその、まあ感ずる必要もない。また、失敗してもですね、かりにそれが運命ならば、あえて悔やむ必要はない。
だから、失敗も結構であるし、成功も結構であるというふうな心境にですね、ぼくはやはり到達と申しますか、そう言う感じを味わうということが、非常に大事な問題ではないかと思うのです。
(昭和37年7月4日 NHKラジオ「私の自叙伝“ある凡人の成功”)
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(江口克彦のコメント)
松下幸之助さんは、ここでは、成功の要因は、病弱であったこと、学問がなかったことの二つをあげています。しかし、確か昭和44年10月の有恒クラブ経営懇談会だったと思いますが、成功の要因を9項目挙げています。
①自分が凡人であったこと、②人材に恵まれたこと、③方針を明確に提示したこと、④理想を掲げたこと、⑤時代にあった事業をしたこと、⑥派閥をつくらなかったこと、⑦ガラス張りの経営をしたこと、⑧全員経営をしたこと、⑨公けの仕事だととらえたこと。
要は、❶社員に誇りを持たせ、❷社員を励まし、❸社員に感謝し、❹社員に感動を与えたこと。ひと言で言えば、社員の「やる気」を引き出したことと言えるのではないかと思います。
後半の話は、松下さんが、なにやら、運命論者と思われるかもしれませんが、20%は、自分の知情意で人生を動かすことができる。その与えられた運命をそのままに容認し、その中で明日への希望をもって、どう知情意を発揮すべきか、いかに誠心誠意の努力をすることが大切かということを言っているのだと思います。
松下さんの、この話は、与えられた運命、すなわち、(⑴ 病弱であったこと、⑵ 学校へ行けなかったこと)を素直に受け入れ(=容認→融通無碍に受け止め)、では、どう生きたらいいのかと考え、みずからを丁寧に(=礼)処し切って(=処遇)生き抜いた「松下幸之助の人生」を言い表していると言えるのではないでしょうか。
「すべてのことを、ありのままに容認し、礼をもって処遇すること」が、松下さんの「人間道」ですが、まさに、その通りの人生であったと、私は思っています。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。