人には、それぞれ個性があり、クセがあり、お酒が好きな人もいれば、饅頭が好きな人もいるというように、その好みをもとに生活しているわけであります。
けれども、そこにはおのずから、一定の限度というものがあるはずで、例えば、お金を貯めることも結構なら、使うのも結構ですが、その限度を超えて吝嗇(りんしょく=ケチ)であったり、また、金づかいが荒く、借金だらけであるということでは、世間が承知いたしません。
やはり、収入の範囲において、ある程度使うということが許されるわけで、この度を越すと信用問題が起こってきて、わが身を滅ぼし、その信用失墜が隣人、ひいては会社に及ぶということになるのです。
遊ぶということにしても、ある一定の限度があり、その限度を決めることは、難しいことですが、そういうことはお互いに十分注意し合って、お互いに行き過ぎたことは、遠慮なく忠言し合うということがよろしいかと思います。
そういうことを盛んにやる会社と、そういうことがあまり問題にしない会社とでは、十年の間には相当な開きが出てくると思います。
松下電器においても、その点に十分留意して、なにをしても、おのずから限度を越えないようにやって、しかも各人が仕事に興味を持ち、そこに使命感と責任感を持って、やっていくということが望ましいと思うのです。
(昭和34年1月10日 経営方針発表会)
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(江口克彦のコメント)
松下さんは、節度というか、ケジメ、ここでいう「限度」というものを、非常に重要視していたと思います。
「度を越す」「馬銜(はめ)を外す」、すなわち、調子づいて節度を失なうべきではないということてしょう。
ここでは、松下さんは、お金、あるいは、遊ぶことを例にして、話をしていますが、どのようなことでも、どのような時でも、してはいけないことはしない。一線を超えるような、度を越すようなことはすべきではないということです。
親友だから、何を言ってもいい。しかし、親友だからこそ、言ってはならないこともある。親子だから、何を言ってもいい。しかし、親子だから、言ってはならないこともある。たとえ、冗談を言い合っていても、限度、節度を守らなければならないということでしょう。
だから、売り上げを伸ばす、利益を上げることも、度を越して、節度を超えて、してはいけないことまでして、売り上げや利益を上げることは許されないということです。
お互いに人間。時に度が過ぎることがありますが、「それは、キミ、度が過ぎてるよ」、「すべきでないことをしてるよ」と注意し合える、そのような会社が成長発展しますよ」と松下幸之助さんは、ここで、言いたいのでしょう。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。