心を許して遊ぶような者は、経営者たる資格はない

40数年前になるが、初夏の頃だったと思う。日曜日、松下幸之助さんは、西宮に自宅にいた。朝は、いつものようにお茶室に入る。松下さんは、自宅に帰ると、いつも着物。この日は、茶人が来て、お茶を点ててくれた。松下さんと私がお茶を飲み終わると、その茶人は出ていく。ところが、茶人が出ても、松下さんはそのまま、座っている。はて、どうしたものか。松下さんは、しばらく無言。

私は、ただ訝しく思いつつ、座っていると、松下さんが、ぽつりと言う。「“先憂後楽”という言葉があるわな。指導者は、人よりも先に憂い、人よりも後に楽しむということやろ。社員が3人だろうが、5人だろうが、経営者の立場の者はね、この“先憂後楽”という考え方を多少とも持っていないとダメやな。経営者たる者が、人とともに憂い、人とともに楽しむということではあかんわな。人が遊んでいても、自分はつねに働いているとか、遊んでいるようでも、頭はつねに働いているとか、物を見て、ホッと仕事のことを考える、思いつくとかね。だいたいな、“心を許して遊んでいる”とよく言うけどな。仮にまったく心を許して遊ぶような人がいるならば、そういう人は経営者ではないな。経営者にはなれんわな。君、信長、考えてみいや。酒を呑んでいても、隣国のこと、敵国のことを頭から離すことはなかったやろうな」。

実際、織田信長が、心を許すことがなかった一例がある。天正元年(1573)8月、信長は、朝倉義景の2万の大軍と戦の最中。義景軍は刀根山頂に、その麓に信長軍が陣をとった。ある日、信長は櫓に上ると、「義景軍は、今夜必ず引き退くだろう。油断するな」と命令する。先陣の者たちは、「敵は大軍、しかも山の上。引くわけはない」と不思議がる。夜になっても、信長は、櫓に立ったまま、敵陣を見つめ続け、目を離さない。果たせるかな、丑の刻(夜中2時頃)、義景軍が退き始める。そこを一気に信長軍が攻撃をかけたから、義景軍はもろくも敗退。信長軍が勝利した。 「心を許して遊ぶような者は、経営者たる資格がない」と、松下さんは、誰を思いながら、誰に呟いたのかは、私は分からない。しかし、そのとき、私なりに、大小を問わず、いかなる組織といえども、指導者一人ぐらいは、心を許さず、命がけで取り組まなければならないのかと、背筋に冷たいものが走ったのを今でも覚えている。私が、経営担当責任者になれと指示される2年前のことであった。           

2022.06.15
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投稿者

江口 克彦

講師 江口 克彦

松下幸之助のもとで23年間、直接指導を受ける。 現在、経営者塾を主宰して、松下幸之助の経営哲学の講義を続けている。札幌の「松翁会」、名古屋の「壷中の会」など全国数ヶ所で行われている。            内閣府 沖縄新世代経営者塾 塾長、憲法円卓会議 座長、内閣府 イノベーション25戦略会議 委員、内閣総理大臣諮問機関経済審議会 特別委員、松下電器産業株式会社 理事等を歴任。

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