松下幸之助さんが、蒲柳の質で、極端に言えば、一年のうち、ほとんど半分ほどは、ベッドで養生しながら、なお20万~30万人の社員の中心に居続けることができたのかということは、あまり語られていない。体調のいい時に、あるいは体調を整えてから活動した、その時ばかりが記録に残っているし、また、多くの人たちが、元気な松下さんと接し、その様子を語っている。実際に、松下電器の経営幹部、役員は、大抵の場合、ベッド上の松下さんに、それぞれの報告をしているから、そのことはよく承知していた。が、部下に伝えるのに、いちいち、ベッド上の松下さんに報告し、指示をもらったなどと言うことはない。たまに、そういうことを言ったかもしれないが、たいていの場合、「相談役に、報告した」、「こういう指示があった」ということであったろう。だから、一般社員は、「元気な松下幸之助さん」しか知らないと思うが、実際には、そうではなかった。
それでも、松下幸之助さんが、松下幸之助たりえたのは、多分、その「人間的魅力」、言い換えれば、「人徳」ゆえではないかと思う。『論語』にある、「温・良・恭・倹・譲」、すなわち、「温かく、私心なく、丁寧で、質素で、配慮の人」であったからだろう。体調のいいときは、もちろん、ベッドを離れ、かなり積極的に行動していた。仕事、講演などの対外的は勿論のこと、社内的にも、事業場を見回ったり、一社員に気軽にものを尋ねたり、会社で報告を受けたり、外部の人たちと面談したりしていた。
また、方針、すなわち、「綱領」と「七精神」を明確にして、松下さん自身も、その方針に従っていたから、社員は、「松下幸之助」に、絶対的に信頼をおいていた。また、「遵奉すべき精神」として、「一、産業報国の精神、一、公明正大の精神、一、和親一致の精神、一、力闘向上の精神、一、礼節謙譲の精神、一、順応同化の精神、一、感謝報恩の精神」の七項目があった。この七項目を、松下さん自身が、絶対的精神的支柱として守り抜いた。それも松下さんの人間的魅力であった。だから、社員も、松下さんに倣って不正をする者がいなかった。そういうことが、社内に「感動の渦」をつくった。
松下さんが養生していても、20万、30万の社員の中心に居続けることができたのは、結局は、「人間的魅力」だろう。それが、社内に「感動の渦」をつくり、松下電器は成長発展したということを、覚えておいてほしい。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。