松下幸之助さんが、ある経営者には、「経営は簡単でっせ」と言い、ある経営者には、「経営は、難しいですよ」と言っていた。別々の人に、別々の機会だから、それぞれの人は、松下さんの話に合点する。が、双方の場にいる私は、最初、結局、どっちなんだと突っ込みたくなることがあった。
しかし、やがて、両方とも正しいということが分かった。松下さんは、相手の様子、性格を読んで、その人が経営者として、「成功」するために言っているというのである。それぞれの人に思い付きで言っているのではない。それぞれの経営者の様子、性格を見抜いて、明確に「成功」ということに焦点を当てて助言しているのだ。
すなわち、経営に悩み、気弱になっている経営者には、「経営といっても、そんなに難しいものではない。簡単なものだ。深刻にならずに、経営に取り組めば、成功しますよ」と言い、経営に調子づいている、強気の経営者には、「経営は難しい。慎重に取り組まなければ、成功しませんよ」と言っているのである。
これは、松下さんのある著書の中でも、「努力は、必ず認められる」と書き、その7頁あとには、「努力したからといって、必ず成果が上がるとは限らない」というようなことを書いている。これをある学者が、「矛盾している」と私に指摘したことがある。だが、その学者は、まさに「論語読みの論語知らず」。
『論語』に、「子路が、先生(孔子)に、“指示されたら、すぐに行うべきですか”と訊(き)いた。先生は、“周囲の人たちに意見を求めてから、実行するようにしなさい”と言われた。冉有(ぜんゆう)が同じことを訊いた。先生は、“指示されたら、直ちに実行しなさい”と言われた。二人への孔子の異なる助言に、公西華(こうせいか)は、“先生は、子路に言ったことと冉有に言ったことが違う。どちらが正しいのですか”と訊ねると、先生は、“子路は、猪突猛進型だから、周囲の意見を聞いてから行動せよと助言し、冉有は、熟慮熟考だから、すぐに行動せよと助言したのだ”と仰った」とある。あの学者は、『論語』は読んでいたかもしれないが、真意の理解まではしていなっかたのかと、いまも苦笑する。
松下さんも孔子も、それぞれ相手の「成長」、「成功」に焦点を当てて、助言しているのである。だから、経営者は、社員全員個々に、それぞれの様子、性格を読んで話しているのかと反省してみる必要もあるのではないかということである。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。