第4回 松下幸之助の経営心話 【海外で、日本人の持つべき「武器」は何か】

以前、私は松下電器の仕事の関係で、ヨーロッパへ行き、ある会社の人たちと交渉をした。その交渉はなかなか難しく、スムーズに運ばなかった。


お互い、自分の主張を譲らないので激論になった。テーブルを叩いての大激論である。議論はこじれてしまう。どうしようもない。


昼食後、私は大きな科学館を見に行った。いろいろな展示品を見て回った。そこで、ふと目にとまったのは、原子の模型である。と言っても私には、なんの知識もない。


説明を聞いてみると、ここにある鉄は、細かく見れば分子の集まりであり、その分子をさらに小さく分けてみれば原子の集まりであり、その原子の構造をみれは原子核の周りを電子が回っている。


私は驚いた。鉄の中では、原子が間断なく動いているわけである。科学の進歩のおかげである。しかし、その科学の進歩を生み出したのは、これは人間である。人間の偉大さにつくづく感動した。


昼食後の議論再開の冒頭に、私はまずそのことを話した。人間の力は大きく、偉大である。にもかかわらず、人間と人間の関係は決してそれほどには進歩していない。いまだにお互いに不信感をもって憎しみ合ったり、ケンカしたり、各地で闘争、戦争を繰り返している。また、平和な街であっても、お互い内心では醜い争いをやっている。


どうして人間と人間の間は進歩しないのだろうか。相手のあやまちを指摘して責めるだけでなく、相手のあやまちを許し同情して、お互いに共存共栄していくことに努力していかなくてはならないと思う。


私は、科学館でつくづく感じたので、感じたままを話したわけである。相手の人たちは、はじめは不思議そうな顔をしていたが、次第に興味深そうに耳を傾けてくれ、本題に入ると急転直下、決裂寸前の交渉が成立してしまったのである。


(『人を活かす経営』(1979年  昭和54年刊   1989年文庫本98頁)


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(江口克彦のコメント)


1951年、昭和26年、オランダのフィリップス社との技術提携交渉のときの話です。オランダは当時、戦時中に、日本軍がオランダ領のインドネシアを占領したこともあって、対日感情は良くありませんでした。


そのさなかに、オランダのフィリップス社と提携したのは、かねて欧米の先進技術を導入することが、戦後の復興には不可欠であると考え、すぐれた技術を持ち、経営内容が良いオランダのフィリップス社と提携をすることが賢明と、松下さんが考えたからです。そういうことで、技術提携の交渉を始めるのですが、交渉は難航します。


先方は、提携の条件として、新会社に対して、⑴イニシャル・ペイメント55万ドル(当時の約2億円)、⑵株式参加30%、⑶ロイヤリティー(技術指導料)7%を要求。⑴⑵は仕方がないとしても、⑶の7%は高すぎたからです。


アメリカなら売り上げの3%ですむ。先方は「高くても、それだけの値打ちはある。技術責任者を出し、責任をもって指導する」と譲りません。


そこで、松下さんは、「経営にも価値がある」との信念から、前代未聞の「経営指導料」を逆に要求。それで交渉が難航しますが、結局は、フィリップス社が妥協承認します。


そのきっかけが、上記の松下さんの科学館の、原子の例を引いた哲学的な話というわけです。


詳細は省きますが、経験的に外国人と懇談、交渉するときの日本人の「武器」は、⑴日本の歴史、⑵宗教(特に禅宗)、⑶哲学を枕に話をすると、結構、外国人は敬意を払ってくれるということです。このとき、松下さんは、哲学的な話(物心跛行論、人間即偉大論、共存共栄論)をして、成功したということになります。

2024.02.15
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投稿者

江口 克彦

講師 江口 克彦

松下幸之助のもとで23年間、直接指導を受ける。 現在、経営者塾を主宰して、松下幸之助の経営哲学の講義を続けている。札幌の「松翁会」、名古屋の「壷中の会」など全国数ヶ所で行われている。            内閣府 沖縄新世代経営者塾 塾長、憲法円卓会議 座長、内閣府 イノベーション25戦略会議 委員、内閣総理大臣諮問機関経済審議会 特別委員、松下電器産業株式会社 理事等を歴任。

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