11月27日で、90歳やから、27日になったら、もう一回一から出直しや。そうしようと思っておるんや。それで今考えとるのは、自分なりに勉強しようと思っておるんや。
それで、今考えとるのは、自分なりに勉強しようと思ってな。これまでも、一所懸命やってきたつもりやけど、もっともっと人生や社会の勉強をしないかん。
そして、世の中の役に立つような仕事をしていきたいのや。やらんならん仕事はいっぱいあるからな。そのためにも、あと40年は生きんといかん。
とにかく、今のままでは国は潰れてしまうわ。国家の経営といか、政治やな、それを根本的に変えんといかんときになっとるんやけど、みんな気ィついておらんな。
結局、無税国家やな、無税国家・・あれ、わしはずいぶん前にいうたけどな、そのときみんな騒いだけど、ほんとうはあまり分からんかったやろうな。けど、やっぱりそれしかないな。やがて無税国家にせんといかんとみんなが言い出すようになる。
21世紀になったら、世界の大半の国が無税国家を目指すようになるとわしは思う。そして、さらに進んでは、収益分配国家や。税金納めんでいいどころか、国からみんな金がもらえると。こんなええことないで。きみ、金出すより、もらったほうがええやろ。
(1993年《平成5年》11月『松下幸之助小事典』163頁 PHP刊)
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(江口克彦のコメント)
これは、松下幸之助さんが私に、1984年(昭和59年)11月初旬の夜、話をしたことです。この原文は、PHPの研究本部発行の所内紙『PHPを考える』に連載していた、その11月初めの項に載っています。(平成2年2月に『聞き書き・考え抜く日々ーある日 松下幸之助所長は』非売品、また、同年10月に『松下幸之助随聞録 心はいつもここにある』とタイトルを改題して市販)。
原文を書いておきますので、どのように手直しされているか、読み比べてみてください。ただし、この頃はまだ、牝牡驪黄(ひんぼりこう=本質を見抜くこと)、松下さんの言いたいことは押さえていると思います。
「もうわしも90歳や。このところちょっとからだの調子が悪いけどな、けど、まぁよう生きたなぁと自分でも不思議やなぁ(笑)と思うわ。そうや、みんな家族はとうに亡くなってしもうとるしな。わし一人やな。
(今月の)11月27日で90歳やから、27日になったら、もう一回一から出直しや。そうしようと思っておるんや。それでいま考えとるのは、中学校に入ろうかと(笑)。ほんまや。もういっぺん勉強しようと思ってな。うん、中学校に入るの難しいやろうな(笑)。けど、大丈夫や、入れんかっても、向こうが入れてやると(笑)言うかもしれんし(笑)。
そうや、毎日、中学校へ通って勉強しようと。おもしろいやろ。あと40年間生きんといかんからな、時間は十分にあるわけや。中学校を卒業して高校へ行って、大学へ行って(笑)、やらんならん仕事はいっぱいあるからな。勉強しながら、そういうこともやりつつ、まぁ苦学生やな(笑)。
とにかく、いまのままでは、国は潰れてしまうわ。国家の経営というか政治やな、それを根本的に変えんといかんときになっとるんやけど、みんな気ィついておらんな。結局、無税国家やな、無税国家・・。あれ、わしはずいぶん前に言うたけどな、そのときはみんな騒いだけど、ほんとうはあまりわからんかったやろうな。
その後、静かになってしまった(笑)。けど、やっぱりそれしかないな。やがて無税国家にせんといかんとみんな言い出すようになる。21世紀になったら、世界の大半の国が無税国家になるとわしは思う。
そして、さらに進んで収益分配国家や。税金納めんでもいいばかりか、国からみんな金が貰えると(笑)。こんなエエことはないで(笑)。キミ、金出すより、貰ったほうがええやろ(笑)。」
以上が、松下さんと私の実際の会話ですが、それが、手直しされ、書き直され、先の一文になっています。この一文は、実際とは、かなり書き換えられ、雰囲気はまったく伝わりませんが、「本質」は、押さえられていると思います。
しかし、やがて、松下幸之助さんと会ったこともない人たちによって、次第に「本質」が抹殺され、変質していくとすれば、仕方ないとは言え、実に忍びないという思いがします。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。