宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、絶えず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である。
人間には、この宇宙の動きに順応しつつ、万物を支配する力がその本性として与えられている。
人間には、たえず生成する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。
かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である。
この天命が与えられているために、人間は万物の王者となり、その支配者となる。すなわち人間は、この天命に基づいて善悪を判断し、是非を定め、いっさいのものの存在理由を明らかにする。そしてなにものもかかる人間の判定を否定することはできない。
まことに人間は崇高にして偉大な存在である。
このすぐれた特性を与えられた人間も、個々の現実の姿を見れば、必ずしも公正にして力強い存在とは言えない。人間はつねに繁栄を求めつつも往々にして貧困に陥り、平和を願いつつもいつしか争いに明け暮れ、幸福を得んとしてしばしば不幸におそわれてきている。
かかる人間の現実の姿こそ、みずからに与えられた天命を悟らず、個々の利害得失や知恵才覚にとらわれて歩まんとする結果にほかならない。
すなわち、人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力ではこれを十分に発揮することはできない。古今東西の先哲諸聖をはじめ幾多の人びとの知恵が自由に、なんのさまたげも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである。まさに衆知こそ、自然の理法をひろく共同生活の上に具現せしめ、人間の天命を発揮させる最大の力である。
まことに人間は崇高にして偉大な存在である。
お互いにこの人間の偉大さを悟り、その天命を自覚し、衆知を高めつつ生成発展の大業を営まなければならない。
長久なる人間の使命は、この天命を自覚実践することにある。この使命の意義を明らかにし、その達成を期せんがため、ここに新しい人間観を提唱するものである。
昭和四十七年五月
松下幸之助
(『人間を考えるー新しい人間観の提唱』
昭和47年8月1日初版)
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(江口克彦のコメント)
難解と承知の上で、あえて、松下幸之助さんの人間観を記載しました。
松下さんの人間観は、性善説でも性悪説でもありません。強いて言えば、「性偉説(せいいせつ)」でしょう。
人間は罪の子でもなければ、罪業深重の凡夫でもない。とてつもない力を持った存在。偉大な存在であると、松下さんは、悟っています。
言うなれば、人間は、切れない包丁でなく、優れて鋭利な包丁。その認識をすべきではないかということです。
その包丁の使い方によっては、料理を作る道具になり、また、人を殺す凶器にもなります。
人間は、とにかく、切れ味鋭い包丁であること、偉大な存在であることを自覚しようではないかということです。
人間の偉大さを自覚すれば、お互い、尊敬し合うことこそすれ、偉大な者同士が殺し合うことなどできないばかりか、万物への慈しみもででくるはず。
「王者」は、「覇者」とは、まったく違います。王者は、慈しみの思いやり。覇者は、我よしの傲慢さ。
その偉大な存在、王者である人間が殺し合うのはなぜか。人間は卑小な存在、つまらない存在と考え言っているからでしょう。それならば、殺してもいいだろう、騙してもいいだろうということになるのではないでしょうか。
もともと、人間は、王者であり偉大な存在なのに、自覚しないのは、利害得失や知恵才覚にとらわれているからだ。だから、衆知を集めて、お互いに、人間の偉大さと、それに比例する責任を自覚し、自然の理法に則り、生成発展をともにしていこう。
人間は卑小、人間はつまらない存在などという人間観を捨て、「人間は偉大」、「人間は王者である」という人間観に考えを変えて、責任を持って、この世界、この宇宙を、よりよき方向にもっていこう。
そして、いっさいは人間のためにあると考えること。つまるところ、「人間大事」と考えること。そうすれば、お互い偉大な人間同士、大事にし合い、また、万物の上に立っていることが分かり、宇宙万物にも、思いやりの心、慈悲心を持つことになるということになります。
こういう人間観をもって、経営に取り組み、94年間の人生を生き抜いた松下幸之助という人に、改めて、満腔の敬意とその思考の深さを感じざるをえません。そして、多分、5年間、毎日、読み続けるならば、この松下幸之助さんの人間観の哲学を、最低限、体得することができるのではないか(松下幸之助談)と思います。
*なお、詳細な解説は、拙著『人間 偉大なるもの』をお読み頂ければ幸いです。(Amazon)
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。