(戦後間もなくの頃)、大阪地方裁判所を訪ねて、所長さんや判事さんに1時間ほど話をしました。その後、質疑応答をしたのですが、若い判事さんが「いま、石炭が足らない。どうしたら、石炭が出てくると思いますか」と質問をされました。
当時は、政府が価格を統制し、石炭の価格が低かった。そこで、ぼくは、「それは、石炭に訊いてみるのが一番でしょう」と言うと、その判事さんが、「真面目に話してください。冗談じゃない」と怒り出したのです。
ぼくはいささか驚きつつ、「石炭が言うてます。今のような評価では、とても出ていく気にはなれない」と。いまの日本は、石炭が無ければ、国家の再建は出来ません。しかし、その値段を安く抑えて、いわば、石炭を虐待して、石炭に出てこいと。このような姿に問題があると思うのです。
例えば、倒産の危機に瀕している会社があるとしましょう。その社長が社員を集めて、「有能な諸君、率先して励んでもらいたい」。社員もそれに応えて、「率先して、努力しましょう」と。
ところが、「それは結構だ。だが、会社がこんな状態だから、諸君の給料は減らすことにするよ」と言ったらどうでしょうか。社員は、「そんな殺生な!」ということになるでしょう。
一生懸命やれ、しかし、給料は減らす。これでは、社員の人たちの意欲が薄れてしまうのは無理ありません。それに応じた働きを望むのであれば、それに見合った処遇を適切に施すことが必要です。
今の石炭は、それと同じです。石炭を安くしろ、安くしろと、石炭を虐待している。これはやはり、物を遇する道、道理にはずれた姿。だから、石炭は出てこないのです、
と、話をしたことがあります。幸いにして、その判事さんも納得してくださった様子でした。
(松下幸之助著『人生談義』 文庫本 167頁)
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(江口克彦のコメント)
「石炭に訊いてみましょう」との応えは、いかにも松下幸之助さんらしい応え方だと思います。この話も、よく笑いながら、「判事さんが、えらい怒ってなあ」と、よく話をしてくれました。
人間の身になって考えてみれば、あなたの能力、働きは、高く評価するが、給料は安くする。いわば、「働け、されど、給料は下げる」と言われてなお、一生懸命働く人がいるでしょうか。
たとえ、熱い志があったとしても、「吉田松陰」や「坂本龍馬」のような人は、現実的には、極めて少ないのではないと思います。
「今は、無理としても、会社再建に成功したら、これだけの報酬を渡すことを約束する」というように、方法はいろいろあると思います。
それにしても、松下さんから、「石炭に直接聞いてみましょう」と言われた判事さんの怒りは、分かるように思います。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。