人生というものは、まったく予想のつかないものです。今日、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)のように調子がよいと喜んでいても、明日は思いもしないことが起こって、失意に泣くということが往々にしてあります。
また、その逆に、いわゆる逆境に生まれついても、しかも、いつのまにかその境遇を克服して、世に成功するということもあります。
まるで濃霧の中をのろのろ運転しているようなものです。しかし、たとえ一寸先(3センチ先)が分からなくても、私たちは私たちなりの努力をしなければならない。なにかにつけても、みずからの最善を尽くして生きていくことが、人間としての尊い姿だと思います。そうすることが、悔いのない人生というものでしょう。
人間は、状態が悪い時、悲運と思われるような場合には、悲観し、絶望に陥りがちな弱さを、誰もが持っています。しかし、そういう場合でも、その日その日を真剣に生きていくことが大事なのです。絶望に希望を失ってはいけない。その日その日を必死になって生きていくとき、きっと思いもしない道がひらけてくるものです。
とはいえ、ただ漫然と待つというのではいけない。一瞬で決まる勝負のために、連日激しい稽古に励んでいる相撲の力士たちのように、私たちも自分の人生に対して、毎日、それこそ、真剣に取り組まなくてはならないと思います。
(『若さに贈る』47頁 昭和41年 講談社刊)
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(江口克彦のコメント)
「逆境に生まれついても、しかも、いつのまにかその境遇を克服して、世に成功するということもあります」という言葉は、そのまま、松下幸之助さん自身のことでしょう。
両親、姉兄7人も亡くなって、いない。父親は米相場に手を出し、失敗。一家は離散。カネなし、故郷なし。なにより、健康でない。
松下さんは、そのような逆境の中で失意に涙したこともあるかもしれません。一寸先も見えず、絶望しかけたこともあったのではないかと思います。しかし、そういうときにも、たとえ小さくとも、希望という灯りを見い出し、その小さな灯りを目指して日々真剣に必死に生き続けたのではないでしょうか。
百折不撓(ひゅくせつふとう)という言葉があります。中国の蔡邕(さいよう 後漢末の政治家・儒家・書家)の「橋大尉碑(きょうたいいのひ)」にある言葉だそうです。
意味は、何度失敗して挫折感を味わっても、くじけずに立ち上がること。あるいは、どんな困難にも臆(おく)せず、初めの意志を貫くことということです。
松下さんが、最初から、強烈な目標意識をもっていたとは思えませんが、その後、「人間・松下幸之助」が、不撓不屈の気概をもって、幾たびもの絶望を、そのたびに一条の希望を見い出し、それに向かって、毎日毎日、手探りの格闘をし、毎日毎日、真剣に生きていたということは想像に難くありません。
「絶望に希望を失ってはいけない」という松下さんの言葉は、松下さんの体験から生まれた実感だと思います。だからこそ、なにかしら、力強さと励ましが感じられる。そう思うのは、私だけでしょうか。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。