このあいだ、あるところで、勇気ということについて話し合ったことがあるんですよ。勇気というものは、どうして生まれるんだろうかと。
生まれながらにして勇気のある人もいるんですね。ちょっとものおじをする人もいますが、無頓着に是と思うことはツッとやるような。それを勇気があるというような見方をする人もいますね。
しかし、それは勇気には違いないけれど、そんな勇気は小さな勇気だと私は思うんです。ほんとうの勇気というものは、どういうところから生まれてくるかといったら、「これは正しいことで、せねばならんということである」と、そう信じたときに、ほんとうの勇気が湧くわけです。そうではないでしょうか。
「これは正しいことだから、どうしても、せねばならん」というときには、気が小さい人でも、非常に勇気が湧きますよ。勇気というものは、私はそんなものだと思うんですよ。これは、よくないなと思ったら、勇気は出ませんよ、実際。
ご質問の勇気はどうすれば湧いてくるのかということですが、要は、勇気の源泉は、正しいかどうかということですね。
(昭和45年11月 朝日新聞大阪本社朝日ゼミナール)
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(江口克彦のコメント)
勇気は、正しさがあれば、湧いてくると、松下幸之助さんは言っています。
それでは、正しさとは、なにか、いかなるものかということですが、まさにそれは、哲学的命題であって、それこそ、プラトン、ソクラテスをはじめ、その時代時代の哲学者が今日まで論じ続けています。
そのように形而上的に考えることも大切でしょうが、松下さんが言う正しさとは、「人間大事」が基準になっているのではないかと思います。
すなわち、ひとつのことを考えるとき、また、ひとつの行動を起こすとき、「人間大事」を前提にして「せねばならん」と考えているかどうかということ。それを前提としているならば、「正しい」と言えるということではないでしょうか。
ですから、「人間大事」をまったく考えず、「自分大事」、「お金大事」、「物大事」などという考えならば、それは「正しくない」ということになります。
そのように、「人間大事」に基づいていれば、敢然とした「勇気」が生まれてくる。「千万人と雖も吾往かん」、「せねばならん」という勇気が湧いてくる。
その「人間大事」を無視、軽視するならば、本当の「勇気」は出てこない。「勇気」の源泉は、正しさ、すなわち、「人間大事に沿っていること」ではないでしょうか。
松下幸之助さんの「勇気の源泉は、正しさにあり」という言葉は、蓋(けだ)し、名言だと思います。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。