(心を許して遊ばないという)徹底した考え方(覚悟)を基礎に持たずして、経営法を研究したり、また、経営のやり方について考えてみても、私は、それはしょせんは描けるモチに等しい、ということになりはしないかと思うのです。
いうまでもなく、お互いがいろいろの研究会で勉強して、これをもってお互いの経営に応用するということは、もちろんいいことです。
けれども、もし水泳の選手が、(覚悟もなしに)水泳の極意を極めるべく、3年間講義を聞いたとしましょう。では、その講義を受けた人が全部水泳が上手くできるようになるかというと、私は全部は上手く泳げないと思う。3年間、極意をきわめた水泳の先生から講義を聞いても、(理論、理屈だけでは)ひょっとすれば、逆に、沈んでしまう人も多いのではないかと思う。
やはり泳ぐ極意ということは、(講義を聴いたこと以上に)水につかって、そして、一ぱいか二はいの水を飲んで苦しむという過程をへて、初めてその講義が役に立ってくるのであって、そういう実地訓練というものなくしては、3年間の水泳の講義が役に立たないと思うのです。
実際の泳ぎは、水とたたかって初めて泳げるのだ、そして泳げてこそ、初めてその講義の実が出てきて、名人にもなれるのだと思うのです。
(『繁栄のための考え方』昭和39年 実業之日本社刊)
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(江口克彦のコメント)
要は、いくら知識があり、話を聞き、理論理屈を知っていても、実践、体験をし、「知恵」を生み出さなければ、絵に描いた餅、実際には、ほとんど役立ちませんよ、ということでしょう。
松下幸之助さんが、知識無用論者であったかというと、そうではありませんが、知識以上に実践、体験から得られる「知恵」を重視していたことは確かです。
ある時、ある有名な経営者が、「まず、知恵を出せ、知恵がない者は汗を出せ、それも出来ない者は去れ」と言われていました。
私は、なかなかの名言だと思い、松下さんに、この言葉を話すと、松下さんは、一瞬、間をおいて、「そういう考え方もあるけどな、わしなら、そう言わんな」と言う。
うん?という私の表情を読みとったのか、松下さんは、次のように話してくれました。
「わしやったら、その逆やな。“まず、汗を出せ、汗の中から知恵を出せ、それが出来ない者は去れ”とな」
なるほど、本当の知恵は汗の中から、実践、体験の中から生まれてくるのか、と得心するとともに、頭の中の知識だけで、出来る、出来ないと考え言うのではなく、とにかく、やってみる、挑戦してみること、汗を流すことが大事なんだなと思ったことがあります。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。