【自分が見ているものは真実か?】

遅ればせながら、カンヌ国際映画祭の脚本賞等を受賞したことで話題となった『怪物』と
いう映画を観ました。初めは、我が子がいじめにあっているのではないかと思った母親が
学校側と対決する話として観ていました。ところが、途中から、母親の視点ではなく、担
任の先生の視点から物語を見てみると…という展開になっていきます。さらに、子どもた
ちの視点から見てみると…、そういうことだったのか!と衝撃を受ける内容でした。

同じ場面でも、立場を変えて見ると、まったく違うものに見えてしまうのは恐ろしいこと
だなと思いました。脚本を担当された坂元裕二さんのコメントも拝見しましたが、思わず
うなってしまいました。「人は自分が被害者だと思うことには敏感だが、加害者だと気づ
くことは難しい」といったコメントです。こうしたことは、日常の中で往々にしてあるよ
うな気がします。

例えば、同じ企業内で、階層別に各々の研修を担当させていただいている時にそう感じる
ことがあります。組織の中で起きたちょっとした事件でも、部下サイドから聴く話と、上
司サイドから聴く話ではまったく違う内容だったりするのです。部下サイドから聴いてい
ると、「ずいぶん上司の対応が酷いな。大人げないな」と感じますが、上司サイドから聴
いてみると、「それはいくらなんでも部下のほうが無責任過ぎる」と思えてくるのです。

他にも、上司から見ていると、「部下のAさんとBさんは険悪な雰囲気だ。一緒に仕事を
させないほうがいい」と見えていても、実はAさんとBさんはとても仲が良くて切磋琢磨
し合う仲だったなどということもあります。
まさに「聞いてみないとわからない」のです。つい、自分の価値観で「あの人はこういう人
だから、きっとこう思っているに違いない」と決めつけてしまいがちです。こちらに見え
ている状況だけで、「きっとやる気がないに違いない」、「私のことを敬遠しているのだ
ろう」などと思いがちです。

本当にそうなのでしょうか?自分が見ているものは本当にすべて真実なのでしょうか?と
あらためて深く考えさせられた映画でした。
憶測や決めつけで判断するのではなく、「この人のこの言動の背景には何があるのか?」
対話をして知ることが大切だと感じます。

「私は悪くない。私は被害者だ」と思っているけれど、本当にそうなのか?「腹を割って
話す」という言葉がありますが、お互いが自分の気持ちや意図を伝え合ったら、もっと早
期に建設的に解決できることもあるように思います。自分の価値観が常に「普通」だと思
わないようにもしようと思いました。

2024.07.01
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投稿者

石川尚子

講師 石川尚子

パーソナルコーチを行う傍ら、「夢をかなえるコミュニケーション」「自発的な部下の育成」等をテーマとしたコーチング研修講師として活躍中。

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