第23回 松下幸之助の経営心話        【汗水たらした社員の顔を思い浮かべると・・・】 

私が自分で物をつくって商売を始めたころ、初めて東京へ売りにいったのです。東京の問屋さんを回って、あなたの店で買ってくれませんかとお願いし品物を見せました。

すると、これはいくらだ、といわれる。15銭です。15銭か、それは相場だな。しかし君、同じ値段なら、東京のものを買う。大阪からわざわざ買うなら、もっと安くなければいけない。だから、14銭にしろ、13銭にしろというように問屋さんがおっしゃる。

しょうがないなと思ったとたんに、ふと感じたことがあったのです。その時分は20人近い従業員がおりました。小僧さんばかりですが、初めて東京へ売りに行くということで、私を送り出してくれたわけです。

その人たちの顔がポッと浮かんだ。それで、15銭で売るという品物は、自分の感情だけで値段を決めてはいけない。みんなが汗水たらしてつくってくれたものだから、その人たちの努力というものを、自分の一存で左右することは許されない、という感じがしたのです。

そこで強く私は頼んだのです。まあご主人そうおっしゃいますけれども、これはわれわれが一生懸命夜なべをして(=夜遅くまで働いて)つくったのです。だから、ひとつお願いしたい。こういうことを頼んだんです。

それで結局買ってくださったわけです。全部7、8軒の問屋さんを回って、少数の数ですけれども、売れたわけです。

(『商売心得帖』昭和48年初版本 42頁)

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(江口克彦のコメント)

松下幸之助さんが、社員の汗水を流している顔を思いながら感謝し、経営をしていたことは、この話からでも分かります。だからこそ、社員は、そのような大将、松下幸之助という人を敬慕し、懸命に力を発揮していたのだと思います。

 いわば、松下幸之助さんと社員が心をひとつにして、文字通り、打って一丸となり、お客さまの求める製品をつくり、販売した結果、松下電器が大きな信用を得、大きな成長を遂げることが出来たということです。

もう一つ。実は、松下幸之助さんは、政治家にもなったことがあります。一期で引退していますが、大正14年、大阪市此花(このはな)区の区会議員に立候補、当選しています。

ある日、松下さんは、年長の区会議員に道でばったり出会います。先輩議員に誘われて、近くのレストランに入る。お茶程度と思っていた松下さんの意に反して、豪華なランチ。

ところが、松下さんは容易に食べる気配がありません。体調が悪いのかといぶかる先輩議員に、松下さんは、こう答えています。

「社員の人たちがいま、汗水たらして一所懸命に働いてくれている。その社員たちの顔が、ふと頭に浮かびましてね。それを思うと、私だけこんなご馳走を、社員に申し訳なくて、よう食べんのです」(『松下幸之助小事典』140頁)

この先輩議員は、その松下さんのひと言に非常に感銘し、のちには議員を辞めて、松下電器に入り、松下幸之助さんに協力することになりますが、それはともかく、松下さんが、常に、社員を思いながら、経営をしていたことは確かであると思います。

翻(ひるがえ)って、いまの政治家、経営者たちの、どれほどの人が、国民を思い浮かべ、社員の顔を思い出しながら、その役割を果していると言えるのでしょうか。

2024.12.01
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投稿者

江口 克彦

講師 江口 克彦

松下幸之助のもとで23年間、直接指導を受ける。 現在、経営者塾を主宰して、松下幸之助の経営哲学の講義を続けている。札幌の「松翁会」、名古屋の「壷中の会」など全国数ヶ所で行われている。            内閣府 沖縄新世代経営者塾 塾長、憲法円卓会議 座長、内閣府 イノベーション25戦略会議 委員、内閣総理大臣諮問機関経済審議会 特別委員、松下電器産業株式会社 理事等を歴任。

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