大分県別府市に、「株式会社サラビオ温泉微生物研究所」がある。あの高温の温泉に藻が生えるそうだ。その百数十種類の藻菌を研究し、有効な藻菌を数種抽出して、化粧品、育毛剤等にするだけでなく、カニやヒラメなどの養殖生育に成功し、売上げ10億円、社員数は60数名に及び、相当な成果を上げている。会長の名前は、濱田茂氏。これから書こうとしているのは、この濱田会長の話。
この会長が、19歳のとき、わが社を訪ねてきた。私は、その記憶は、もちろん、ないが、そのご子息の拓也社長が、私の講演を聞きに来たことがあった。講演後、拓也社長が挨拶に来た。そこで、「父が、もう耳にタコができるほど、江口先生の話を聞かされてきた」と笑顔で話をする。聞きながら、45年前の、濱田会長、19歳の青年が、確かに訪ねてきたことを、おぼろげながら思い出したが、拓也社長の話によると、私が面会し、そのとき、なんの話をしたのやら、まったく忘れているが、どうやら、「着々寸進 洋々万里」と言う言葉を贈ったらしい。実は、この言葉は、大平正芳(元首相)に某ホテルで教えられた言葉で、拓也社長の話を聞いて、ああ、そうだったのかと思うばかりであった。
それはともかく、濱田会長が、ご子息の拓也社長に、なぜ、私の話を繰り返し聞かせたかというと、面会後、19歳の青年が帰るとき、私が玄関まで共に行き、お辞儀をし、そして、門を出て、青年の姿が見えなくなるまで見送っただけでなく、その門のところで振り返ったら、私がなお私がお辞儀をしていたことに、いたく19歳の濱田青年は感動したという。
その後、紆余曲折はあったようだが、このときの感動を常に思い起こし、ついには、いま、「株式会社サラビオ温泉微生物研究所」として、大きな成功を成しとげているということである。濱田会長は、「これも江口先生のおかげ。人を区別せず、誰に対しても、誠意をもって接することが大事。人間大事を、その後も大切にしてきました。その結果が現在のサラビオです」と、会えば、都度、話をする。
しかし、その見送り方も、私は、松下幸之助さんが、そうしていたから、そうしただけというに過ぎないが、濱田会長、拓也社長の話を聞くたびに、百戦して不敗の、大友宗麟に仕えた猛将・立花道雪の言葉を思い出す。「弱き武士はいない。いるとすれば、大将の責任。もし強者(つわもの)にしたくば、わしのところに寄こしてみろ。必ず、強者にしてみせよう」。部下の良し悪しは、大将の日頃の言動で決まるということである。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。