「任せて、任せず」ということは、文字通り“任せた”のであって、“放り出したのじゃない”ということです。
経営の最高責任者は、どんな場合でも、最後の責任は自分にあるという自覚に立っている。自分は(最終的には)責任を持たないといかんということで腹をくくっている。そうなると、どういうふうにやっているかが気になる。これがほんとうですわな。
もちろん、任せた以上あまり細かな口出しはしないし、ある程度は大目に見るということですけど、脱線してしまうようなときには、これははっきりと注意せんならん。そうでないと、これは無責任ということですわ。脱線しないように介添えすることが、「任して任せず」ということですよ。
しっかり(経営)理念を踏まえてやる人もいるけれど、勢いに任せてやる人もいる。そんなときには、やっぱり注意してやらんといけません。注意を怠ったら、その人を捨て去ってしまうのと一緒ですわ。
任すということは、この人ならうまくやるだろうということを前提として任すんです。無責任に任すんじゃないから、いかんなと思うときには口で言ってやらねばいかんです。
それでも脱線してしまうことでは、任せられんし、そもそも任せたのか間違いで、人を替えねばならない。
(昭和51年 『30億』誌 「若き経営者諸君!」)
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(江口克彦のコメント)
36歳のとき、松下幸之助さんから、まさにこの年の4月23日、突然に、PHP研究所の経営担当責任者を命じられました。
もちろん、いままでの(思想的)秘書のときも、よく呼び出され、あるいは電話がかかってきましたが、この突然の指名以降は、それまで以上に、呼び出され、また、電話の回数は激増しました。
多くの諸先輩は、こういう松下さんからの電話に困惑したようですが、私は、困惑どころか、当時、経営素人の私にとって、まさに、喜びというか、愉快なことでした。
なにせ、困ったこと、戸惑うことなど、こちらから、電話を恐る恐る架けなくても、「向こうさん」から架けてくれるのですから、有難いこと限りなし。
「実はこういうことで、どうしたものか、困っているんです」、「このことで迷っているんです」などと話すと、「それは、こうしてみいや」、「その問題は、こう考えたら、どうや」などとアドバイスをしてくれました。
あるいは、「このことは、こうしたいんですが・・」、「これをやってみたいんですが・・」というと、大抵の場合、「キミの考えでやってみいや」と励ましてくれました。
私の秘書が電話の回数の多さに、よく驚いていましたが、私は、松下幸之助さんが、経営担当責任者にした私が失敗しないように、また、励ますために、わざわざ、呼び出し、あるいは、電話を日に数回架けてくれたのだと思っていましたから、とにかく嬉しかった。なんでも話をし、褒められたり、叱られたり、助けられたりしたものです。
そうして貰っているうちに、おかげで、次第に経営担当責任者として、少しばかりですが、板についてきたと感じるようになりました。
ですから、私は、「任せて、任せず」という言葉は、この松下さんの話からも分かるように、「最終的な責任は自分がとる。その人を育てよう。そのために、励まし、失敗しないように、確認、助言しよう」という思いからであると理解しています。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。