なぜ、われわれは働くかということを考えた場合、働かなければ食べていけないからということもありますが、それだけではないように思うのですな。ただ食べるだけでなくて、人間生活のいっさいを、明日は今日よりもよくしていく、そのために働かなければならないものだと思うんです。
物を製造する人も、サービス業の人も、みんなそういうことを目的としているんですね。その活動をスムーズにする、いわば潤滑油がお金だと思います。
お金は目的ではなく、あくまで道具であって、働く目的は人間生活の向上であるということですね。
仕事そのものがよくて、世の中のためになるという場合には、お金は自然とついてくるものですね。たとえば、歌手を考えてみても、あの人の歌は大変うまい、と思うからこそ、お金を払って聴きにいくのですね。
あるいは、うどん屋さんでも、あそこはおいしい、と思うからこそ、食べにいくんです。なんぼ金もうけしようと思っても、それに値するものがなければお金はついてきませんわ。
その人の仕事に社会的な価値があれば、それにふさわしいお金がついてくる。それは、“おまえ、もっとしっかりやれよ”という世間からの(励ましの)声とも解釈できますね。
(『人生談義』平成2年刊 「お金というもの」)
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(江口克彦のコメント)
お金に対する松下幸之助さんの考え方がよく言い表されていると思います。
その人の仕事に社会的な価値があれば、それなりにお金は入ってくる。だから、そのお金は、社会がその働きを認めてくれて、「おまえ、よく頑張った。よくやった。しかし、もっとしっかりやれよ」という社会からの「励ましの声」であるというのです。
そして、お金は、食べるだけの目的ではなく、そのように、社会から評価される、言い換えれば、「人間生活を向上させるための道具」に過ぎない。道具を目的にしてはいけないと主張しています。
お金をそのように捉えると、お金が入ってくるのは、①「世の中に貢献した証(あかし)」、そして、その入ってきたお金は、また、②「世の中に貢献するために使わなければならない」ということになります。
「カネは天下の回りもの」といいますが、松下幸之助さんは、ただ回すだけ、使うだけでなく、回すたびに、使うたびに、さらに世の中に役立つような、社会が向上するような回し方、使い方をしなければならないと言いたいのでしょう。
ですから、お金を社会悪に使うのは、もってのほか、許されないということです。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。