自分は凡人

「昔から、主君は主君で、自分はこれで十分だ、また、臣下は臣下で、今の己で十分だなどと、今の自分に満足していると、世の政治の成果は上がらない。自分は不十分だ、人間的に、まだまだ不足していると思いあらばこそ、民衆の言葉にも耳を傾けることができるのである。自分はこれで十分だ、完全だと思っていると、他人からその足らざるところを指摘されると、すぐに怒り出してしまうもの。だから、賢人君子も(助言しても仕方がないと見限って)、そのような者たちを助けようともしないものである。」(『南洲翁遺訓』19 江口訳)

『南洲翁遺訓』は、明治維新の時、官軍派の山形庄内藩の藩士らが、西郷隆盛の温情により、藩主・酒井忠篤は丁重に扱われ、責任者の処分は行われず、寛大な措置がとられた、それに感動した庄内藩士たちが、薩摩にいた西郷に感謝の意を表しに出かけた折の、その時の話をまとめたものである。

この西郷の言葉は、今も社長や大企業の社員に当てはまるのではないだろうか。社長は、社員に対して、おれは社長だ、自分の言うことは間違いないと思っていないか。大企業の社員は、協力会社の社員に、私の話は、絶対だ、一点の間違いもない、指示に従わなかったら、今後の取引は止めると言っていないか。

そういう思いであるならば、その時はその時で事が進んだとしても、やがて、そういう社長も大企業の社員も、やがて周囲からも疎んぜられ、知恵や情報を持った人たちも、その知恵や情報を提供することをしないだろう。

松下幸之助が、常々、「自分が凡人だったから、経営において、それなりの成功をおさめることができた」ということは、別に鬼面人を驚かす意図はない。事実であると、松下幸之助さんが自覚していたからだろう。そして、その思いによって、7兆円の世界的企業をつくり上げたのである。

そのように、「自分は凡人だ」という思いが、「謙虚な姿勢」となって、「賢人君子」も、こぞって、「助けよう」、「協力してあげよう」、「助言をしてあげよう」などと思ってくれたのだろう。

とにかく、「自分はこれで十分だ」という考えは、自滅への道をたどる。西郷隆盛の言う通り、「自分は不十分だ。人間的に、まだまだ不足している」と思うところに、いざと言うときに、思いがけない「援軍」がやって来てくれる。

松下幸之助さんのいう、「自分は凡人である」という自覚こそ、人としても、経営者としても大事なことではないかと思う。

2023.08.15
いいね! ツイート

投稿者

江口 克彦

講師 江口 克彦

松下幸之助のもとで23年間、直接指導を受ける。 現在、経営者塾を主宰して、松下幸之助の経営哲学の講義を続けている。札幌の「松翁会」、名古屋の「壷中の会」など全国数ヶ所で行われている。            内閣府 沖縄新世代経営者塾 塾長、憲法円卓会議 座長、内閣府 イノベーション25戦略会議 委員、内閣総理大臣諮問機関経済審議会 特別委員、松下電器産業株式会社 理事等を歴任。

関連記事

企業や人の育成でお困りの方はお気軽にご相談ください

松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。