多くの人の考えを集める衆知という「知恵」は、松下幸之助さんの専売特許ではない。推古12(604)年に、聖徳太子が定めた『十七条憲法』。その第1条、「和を以て貴しと為す」は有名だが、第17条に、「それ、事独り断(さだ)むべからず。必ず、衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし」とある。要は、松下さんの言うところの、「衆知」ということである。
明治維新のときに、明治元(1868)年に、明治天皇がお示しになった、基本方針である『五箇条の御誓文』の最初の一条に、「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」、「広く会議を開いて、なにごとも人々の意見を聞いて、政治を行うようにすべき」と記されている。明治天皇もまた、多くの人々の知恵を集めよ、と言われている。
衆知を集めるということは、一貫して、日本人の血として流れ、受け継がれている。だから、松下さんも、日本の伝統精神の一つとして、「衆知」を挙げている。従って、「衆知を集めること」をしないとすれば、それは、極論すれば、「日本人ではない」と言えるかもしれない。
松下さんの、「衆知を集めることが大事」の理由はこうだ。松下さんは、自分で構築確立した「根源の哲学」から導き出される「人間観」を持っていた。「人間は偉大な存在」、「人間は万物の王者」という人間観。だから、「人間は、聞き尋ねる価値がある」、「衆知を集める価値がある」と説く。とは言え、人間、いかに王者であろうと、一人ひとりの自分の知恵だけにとらわれて、考え、事を為そうとしてもしきれるものではない。
人間一人ひとりの知恵は、たとえどんなに優れた人であったとしても、神様でもないのだから、おのずと限界というものがある。その限りある知恵で、経営を見たり考えたりしたのでは、物事の実相を十分に見極められないから、当然、往々にして失敗をおかす結果に終わってしまう。
人間が、少しでも「真の王者」に近づくためには、さまざまな場において、お互いに自己の利害得失や感情にとらわれることなく、私心なく、意見をかわし、衆知を集めていくことを心がけるようにしなくてはならない。そう、松下幸之助さんは考えた。
コロナ禍は、まだ収まりそうもない。多くの経営者が、苦悩しているかもしれない。しかし、そういうときにこそ、「多くの人から情報を集めること」、「多くの仲間から、知恵を借りること」「衆知を集めること」を心掛けてみてもいいのではないだろうか。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。