ある全国紙の新聞記者が、松下幸之助さんに取材していた。いろいろと質問していたが、最後に、「松下さん、無理なこととは思いつつ、あえて質問させていただきます。指導者、経営者にとって、これだけは、絶対に持っていなければならない条件を、一つだけ挙げて頂けませんでしょうか」と質問した。
「う~ん、そうですなあ、まぁ、一つだけ挙げよと言われれば、それは、自分より優れた人を使えるということですな。これだけで十分ですわ」。
記者は、大きくうなずき、私も、納得したことがある。記者が帰った後、松下さんに私は、その答えに、感動し、納得したと話をした。松下さんは、
「そりゃそうやろ。経営者にとって大事なことは、優秀な部下を集め、あるいは、育てることや。いくら優秀な人(指導者)でも、人間ひとりには限界があるわ。なんでも一番ということはない。だからな、指導者が、なんでもオレが、オレがと言っても、できんわけや。むしろ、自分より優秀な人はいっぱいいる。そういう自分より優れた人を傍に集めて、その人たちを活かし、使う能力というか、そういうことができるということであれば、それで十分立派な指導者と言える。けど、得てして指導者という人は、自分より優れた人を遠ざけるわな。だから、いくら優秀でも、自分程度にしか成功せんわけや」。
その「いくら優秀でも、自分程度にしか成功しない」という言葉に、私は、またまた、感動したことを覚えている。
この、「自分より優れた者を使う」という言葉は、アメリカの鉄鋼王と言われたアンドリュー・カーネギー(1835~1919)の墓標に、同じような言葉が刻まれているという。すなわち、「自分より優れた者たちを周囲に集めし者、ここに眠る」と。
凡なる指導者、経営者ほど、自分の愚鈍さを隠すためか、優秀な人材を煙たがる。まして、優秀な部下から、経営の仕方なり、改善策なりを提言されると、「分かっている!」とか、「生意気なことを言うな!」と怒鳴る。挙句の果ては、窓際に追いやり、陰湿なイジメをしたりする。当然、その人材は、退職届を持ってくる。まるで、「ダイヤの指輪」を窓から放るようなものだ。それでいて、「俺の会社の社員は、出来が悪い」と言う。ダメ社員ばかりにしたのが、経営者自身であることが分かっていない。
松下さんやカーネギーの言う通り、「優秀な人材を集め、使えること」が、指導者の唯一の必要条件であることを覚えておきたいと思う。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。