正月になると、松下幸之助さんの話を思い出す。松下病院の一室に自分の部屋をつくり、平日は常住していたが、自宅から3日の夕方、そこに戻った松下さんから呼び出され、二人で、おせち料理を食べるのが習わしだった。身の回りのお世話をしている山田謙次という老人が、用意してくれるおせち料理を食べながら、松下さんと雑談した。今年の経済政治の話、今年、取り組みたいこと、世間話など、よくしていた。翌日は、伊勢神宮に参拝に一緒に出掛けたが、90歳のときには、初詣は取りやめとなった。3日の恒例のおせち料理を食べながらの雑談も取り止め。電話があり、「きみ、体調がすぐれないんや」と言う。
それならば、と、神宮に初詣。いわば、代参。その夕方、遅く、松下さんのところに、その旨、ふらりと報告に行った。松下さんは、私の顔を見るなり、破顔一笑。「お伊勢さんに行って来てくれたんか。これ、お神酒(おみき)やな。おせちを用意するように山田君に言ってくれや。正月はな、なんか知らんけど、心躍(こころおど)る感じがするんや。別に理由はないけどな(笑)。今年は、なんか、いい年のなる。そんな気ィするんや。まあ、きみ、ついだげよう。お伊勢さんからのお神酒、こうやってすぐ飲むというのは人生90年、初めてのことや(笑)。そういう、飲もうという気分になったという、わしも分からんけど、このことだけでも吉兆やな。今年は、きっとええことがあるで(笑)。」
上機嫌であったが、雑談しているうちに、驚くべきことを語り出した。
「いまな、大学をつくったら、どうかと思っとるんや(笑)。そうや、普通の大学や。いや、わしは、理事長や学長にもなれへんのや。それはな、他の偉い人にやってもらおうと思うんや。わしはな、その大学の入学生の第一号になるんや(笑)。それで勉強をしようと。90歳を一から始めるには、それがええやろ。いままで90年間生きてきたけど、まだまだ勉強せんといかんもんがいっぱいあるわけやな。きみ、時間割をつくってくれや。」
結局、文部省(当時)に相談に行ったが、条件が多岐すぎるのと、開校まで数年かかることが分かり、結局、諦めざるを得なかったが、松下幸之助という人の「飽くなき向上心」に驚嘆したことを覚えている。
ちなみに前年の11月27日の誕生日を迎えるとき、実現はしなかったが、「中学校で勉強したい。きみ、探してくれ。」と言われたことがあることも書きとどめておきたい。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。