このところ、優秀な若者たちと交流することが多い。彼らは、語学も堪能、PCも自在に操る。彼らの目標は、「起業」だという。
彼らの起業の思いは、「独創性と資金と仲間」が揃えば、叶えられるだろう。しかし、「起業」は出来ると思うが、「経営」が出来るかどうか。起業は出来ても、経営が出来ないと、アッという間に倒産する羽目になるのではないか。「起業」と「経営」の、いずれが難しいのか。言うまでもなく、「経営」のほうが難しい。
唐の太宗がある時、「国を興すことと、国を維持することと、どちらがむずかしいか」と、近臣の房玄齢と魏徴に問いかけた。玄齢は、「天下が乱れ、世の中の秩序が整わないときは、多くの英傑たちが、激烈に覇を競い合い、負けた者は、勝った者の臣下となる。ゆえに、創業のほうが難しい」と言う。魏徴は「昔から帝王たちは、天下をとって一安心し、安楽に流れ、結局は、国を失う。ゆえに国を維持していくことのほうが難しい」と言う。太宗は、この二人の話を聞いたのち、「いずれにしても、国は建った。これからは、国を維持していくことが難しいと心得て、諸侯と共に努力しよう」と言ったという。
これが「創業は易く、守成は難し」という言葉になる。
なぜ、起業より経営が難しいかと言えば、起業は「点」。経営は、「線」。その線を切れ目なく引き続けることは、なかなか困難だと言える。その独創性で、周囲から拍手され、資金も集まり、仲間も集まって、起業しても、やがて、一緒に取り組み始めた仲間と対立する。起業した者は、「オレが、この事業を始めたのだ」という。仲間は、「オレたちが、協力したから、起業できた」という。お互いに主導権争いをし始める。それが、取引先への配慮を欠き、信用を失うことになる。或いは、統率力がなければ、社員を掌握することが出来ない。当然、業績は上がらない。しかし、誰も責任は取らないばかりか、責任の擦(なす)り合いをする。かくして、仲間割れをして、数年どころか、一年も持たないということになる。
起業して、なおかつ会社を発展させたいと思うならば、なにより、「統率力」がなければならない。要は、人間力、すなわち、人間的魅力、人徳で仲間や社員をまとめていく人間に変身しなければならない。「起業家から経営者に変身すること」が出来るか。起業する若者たちは、「創業は易く、守成は難し」という言葉を、心のなかに秘めておく必要があるだろう。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。