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第16回 続・松下幸之助の経営心話      【メメント・モリ】

剣道で、面に小手、胴を着けて竹刀で試合をしている間は、いくら真剣にやっているようでも、まだまだ心にスキがある。


しかし、これが木刀で試合をするとなれば、いささか緊張せざるを得ない。打たれれば気絶もするし、ケガもする。死ぬこともある。


まして真剣勝負ともなれば、一閃(いっせん)が直ちに生命(いのち)にかかわる。勝つこともあれば、また負けることもあるなどと呑気なことをいっていられない。勝つか負けるかどちらか一つ。負ければ生命がとぶ。


真剣になるとは、こんな姿をいうのである。


人生は真剣勝負である。だからどんな小さな事にでも、生命をかけて真剣にやらなければならない。(中略)


大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない。おたがいに心を新たにして、真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである。


(『道をひらく』昭和43年初版22頁 真剣勝負)


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(江口克彦のコメント)


「メメント・モリ」という言葉があります。台湾の故・李登輝元総統が、よく語っていました。「死を考えれば、おのずと生の意義が分かる」と。


メメント・モリ(memento mori、死を忘るるなかれ。明日は分からない。ラテン語)という言葉は、ローマ時代からあったようですが、キリスト教に取り入れられてから、「人はいずれ死んでしまうのだから、富や名誉は空虚なものだ」といったような説教になります。


しかし、もともとの「メメント・モリ」は、「人間誰しも死ぬのだから、今この一瞬一瞬を大切に生きよ」と解釈すべきでしょう。


ローマ時代の哲学者セネカも、「未来は不確実さの中にある。(だから、)ただちに(今に)生きよ」、言い換えれば、「明日をアテにせず、今この一瞬を大切に生きよ」と、その著、『生の短さについて』で述べています。


また、兼好法師も、『徒然草』のなかで、「ただ今の一念、空(むな)しく過ぐることを惜しむべし」、すなわち、「目の前のことを空しく見過ごし、捨ておくことをしてはいけない」と言っています。


松下幸之助さんの、ここで書いてあることも、とにかく、一日一日を、いや、この瞬間瞬間を怠りなく、「真剣勝負で生きるべし」ということでしょう。


「人生は長い。しかし、真の人生は短い」(セネカ)。

2025.08.15
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投稿者

江口 克彦

講師 江口 克彦

松下幸之助のもとで23年間、直接指導を受ける。 現在、経営者塾を主宰して、松下幸之助の経営哲学の講義を続けている。札幌の「松翁会」、名古屋の「壷中の会」など全国数ヶ所で行われている。            内閣府 沖縄新世代経営者塾 塾長、憲法円卓会議 座長、内閣府 イノベーション25戦略会議 委員、内閣総理大臣諮問機関経済審議会 特別委員、松下電器産業株式会社 理事等を歴任。

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松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
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