剣道で、面に小手、胴を着けて竹刀で試合をしている間は、いくら真剣にやっているようでも、まだまだ心にスキがある。
しかし、これが木刀で試合をするとなれば、いささか緊張せざるを得ない。打たれれば気絶もするし、ケガもする。死ぬこともある。
まして真剣勝負ともなれば、一閃(いっせん)が直ちに生命(いのち)にかかわる。勝つこともあれば、また負けることもあるなどと呑気なことをいっていられない。勝つか負けるかどちらか一つ。負ければ生命がとぶ。
真剣になるとは、こんな姿をいうのである。
人生は真剣勝負である。だからどんな小さな事にでも、生命をかけて真剣にやらなければならない。(中略)
大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない。おたがいに心を新たにして、真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである。
(『道をひらく』昭和43年初版22頁 真剣勝負)
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(江口克彦のコメント)
「メメント・モリ」という言葉があります。台湾の故・李登輝元総統が、よく語っていました。「死を考えれば、おのずと生の意義が分かる」と。
メメント・モリ(memento mori、死を忘るるなかれ。明日は分からない。ラテン語)という言葉は、ローマ時代からあったようですが、キリスト教に取り入れられてから、「人はいずれ死んでしまうのだから、富や名誉は空虚なものだ」といったような説教になります。
しかし、もともとの「メメント・モリ」は、「人間誰しも死ぬのだから、今この一瞬一瞬を大切に生きよ」と解釈すべきでしょう。
ローマ時代の哲学者セネカも、「未来は不確実さの中にある。(だから、)ただちに(今に)生きよ」、言い換えれば、「明日をアテにせず、今この一瞬を大切に生きよ」と、その著、『生の短さについて』で述べています。
また、兼好法師も、『徒然草』のなかで、「ただ今の一念、空(むな)しく過ぐることを惜しむべし」、すなわち、「目の前のことを空しく見過ごし、捨ておくことをしてはいけない」と言っています。
松下幸之助さんの、ここで書いてあることも、とにかく、一日一日を、いや、この瞬間瞬間を怠りなく、「真剣勝負で生きるべし」ということでしょう。
「人生は長い。しかし、真の人生は短い」(セネカ)。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。