私が自分で物をつくって商売を始めたころ、初めて東京へ売りにいったのです。東京の問屋さんを回って、あなたの店で買ってくれませんかとお願いし品物を見せました。
すると、これはいくらだ、といわれる。15銭です。15銭か、それは相場だな。しかし君、同じ値段なら、東京のものを買う。大阪からわざわざ買うなら、もっと安くなければいけない。だから、14銭にしろ、13銭にしろというように問屋さんがおっしゃる。
しょうがないなと思ったとたんに、ふと感じたことがあったのです。その時分は20人近い従業員がおりました。小僧さんばかりですが、初めて東京へ売りに行くということで、私を送り出してくれたわけです。
その人たちの顔がポッと浮かんだ。それで、15銭で売るという品物は、自分の感情だけで値段を決めてはいけない。みんなが汗水たらしてつくってくれたものだから、その人たちの努力というものを、自分の一存で左右することは許されない、という感じがしたのです。
そこで強く私は頼んだのです。まあご主人そうおっしゃいますけれども、これはわれわれが一生懸命夜なべをして(=夜遅くまで働いて)つくったのです。だから、ひとつお願いしたい。こういうことを頼んだんです。
それで結局買ってくださったわけです。全部7、8軒の問屋さんを回って、少数の数ですけれども、売れたわけです。
(『商売心得帖』昭和48年初版本 42頁)
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(江口克彦のコメント)
松下幸之助さんが、社員の汗水を流している顔を思いながら感謝し、経営をしていたことは、この話からでも分かります。だからこそ、社員は、そのような大将、松下幸之助という人を敬慕し、懸命に力を発揮していたのだと思います。
いわば、松下幸之助さんと社員が心をひとつにして、文字通り、打って一丸となり、お客さまの求める製品をつくり、販売した結果、松下電器が大きな信用を得、大きな成長を遂げることが出来たということです。
もう一つ。実は、松下幸之助さんは、政治家にもなったことがあります。一期で引退していますが、大正14年、大阪市此花(このはな)区の区会議員に立候補、当選しています。
ある日、松下さんは、年長の区会議員に道でばったり出会います。先輩議員に誘われて、近くのレストランに入る。お茶程度と思っていた松下さんの意に反して、豪華なランチ。
ところが、松下さんは容易に食べる気配がありません。体調が悪いのかといぶかる先輩議員に、松下さんは、こう答えています。
「社員の人たちがいま、汗水たらして一所懸命に働いてくれている。その社員たちの顔が、ふと頭に浮かびましてね。それを思うと、私だけこんなご馳走を、社員に申し訳なくて、よう食べんのです」(『松下幸之助小事典』140頁)
この先輩議員は、その松下さんのひと言に非常に感銘し、のちには議員を辞めて、松下電器に入り、松下幸之助さんに協力することになりますが、それはともかく、松下さんが、常に、社員を思いながら、経営をしていたことは確かであると思います。
翻(ひるがえ)って、いまの政治家、経営者たちの、どれほどの人が、国民を思い浮かべ、社員の顔を思い出しながら、その役割を果していると言えるのでしょうか。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。