先日、ある大企業の支店長が来た。その支店に問題が起こった。支店長はいろいろ悩むが、解決策が出てこない。「社長に相談してみよう」と思い、社長に解決策をもらおうと行ってみた。ところが、社長は、「支店のことは、支店で考えろ」と言う。「こういう場合、どうしたらいいのでしょうか」と聞く。
この場合、二つの側面から問題が考えられる。
一つは、その社長が、支店の業務をある程度、分かっているかということ。もし、その支店の概略でも内容を知っていれば、「一つのアイディアだけどね。こういう解決法もあるかもしれないぞ」と、「考えろ」と言いながら、「問題解決」のヒントを暗示することができる。いわゆる、「誘い水指導」である。一つのヒントをきっかけに、支店長は、「より良き解決策」を考え出すことができる。
松下幸之助さんがよく話してくれたのは、「その仕事を知ったうえで、部下に任せんといかん。そうでないと、部下が問題にぶつかった時に、導くことも出来んし、助言をすることも出来ん。そうなれば、部下も社長をバカにするわな。なんも知らん人や。それなら勝手なことをしたろということになる。そうなれば、部下も育たんだけでなく、会社もワヤ(メチャクチャ)になる」ということである。
もう一つの問題は、その支店長が、社長に「相談」に行ったということ。「で、あなたは、自分の問題解決策を持って行ったのか」と尋ねると、「私の解決策は考えていませんでした。よく“ほうれんそう”と言いますでしょう。報告、連絡、相談ですよ。報告もし、連絡もしていましたから。困った時には、相談でしょう。ですから、直接、社長に指示を貰おうと」と言う。
この「ほうれんそう」という言葉が、いけない。特に、「そう」が、いけない。相談だから、話し合っているうちに、新しい指示が社長から出てくるだろうと考える。これでは、社員が育たない。
むしろ、「かくれんぼう」、すなわち、確認・連絡・報告だろう。「確認」となれば、「自分の意見、提言を自分で確立しなければならない。「この問題に対処するために、こういう対策をとればいいと思います。私の考えを実行してもいいでしょうか」という「確認」になる。そこに、社員や部下に、「自主自立の心」が芽生えてくる。
権限委譲はすべきであるが、社長は、「その仕事を知って、部下に任せること」、そして、社員、部下も単に、「相談するのではなく、対処策を自分で考え確立し、提言すること」。この二つを考える必要があるのではないかと思う。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。