子会社を育成するということにあたりましても、やはり、利益に対する一つの考えというものを話しするんです。相当な資本を擁して、多数の人を使うということは、これは、天下の金を使い、天下の人を使うわけです、ほんとうは。
そうして仕事をそこに始めたときに、そこからプラスを生まなければ、私は国家社会に申しわけないと思うんです。自分の金というものは、本質的には一円もないわけです。(また、)自分の人というものはないわけです、みな社会の人である。
その社会の人を擁して、社会の金を使うて事業をして、ものが生まれない、いわゆる、黒字にならないということは、それは許されないというのが、ぼくの考え方です。金を天下に返し、人を天下に、社会に返さないといかん、それが第一。
第二はそのやり方です。損をすることに対しては、一種の罪悪を犯しつつあるんだから、これは考えようではないかと話していくわけです。そういうことがよく分かる人は成功しますわ。
しかし、それが分からない、分かっていてもできないというのは、それは経営者として適性のない人です。(しかし、だからすぐに)「替われ」とは言えませんから、代わりに、専務にしっかりした人をもっていって、「あんた、この人と相談してやれ」というような理解を与えるか、それでも理解出来なかったら、その会社を引き受けない、ぼくの力は及ばんと言って引き受けないというになるでしょうな。
(昭和39年6月24日 倉敷レイヨン創立38周年記念講演会)
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(江口克彦のコメント)
M&Aという言葉は、当時は、企業買収とか吸収合併というような表現であったかと思います。松下幸之助さんも、1929年の合成樹脂メーカー・橋本電器の買収をはじめとして、数件ありますが、おおむね、持ち込まれたというか、頼まれて買収しています。
ここで、子会社と言っているのは、買収した会社ということでしょうが、松下さんは、この場合も、天下のヒト・モノ・カネを使って、事業をしている以上、利益をあげて、しっかりと税金を納め、もって天下国家に貢献するように求めています。
もし、利益をあげず、赤字であるとすれば、それは「一種の罪悪である」ということ。そのような考えを、子会社、すなわち、買収した会社の経営者に求め、それが理解されれば、その子会社は成長発展するものだと言っています。
そういうことを理解出来ない経営者ならば、補佐役として、人材を派遣し、相談しながら、経営をさせる、それでも、その経営者が理解出来ないならば、縁なき衆生は度し難し、もう手を引く以外にないということでしょう。
M&Aをした会社に、人を送り込むことより、ここでは明確に、自分の利益観、すなわち、自分の経営哲学の一端を示し、その理解を求めるべきと言っているのは、いかにも松下幸之助さんらしいと思いますが、しかしながら、「経営哲学」をしっかりと共有させることが、M&A成功の秘訣であるということは、確かだと言えるのではないでしょうか。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。