早く言えば、知識の贅肉がついて、それがじゃましているということでしょうね。知識の取りすぎです。時間と金をかけて得た知識を消化しきれないでいる。だから、知識が逆に荷物になっている。
栄養過多症が決して健康体じゃないのと同じように、知識の贅肉がつくのも健康な姿じゃないですね。知識の贅肉を落とさなければならないと思いますね。別の言い方をすれば、知識を使いこなす主体となる“人間”の成長が十分に伴っていないということです。今まで、肝心の“人間”のほうの成長にうっかりしてたんですな。
三井寺(みいでら)に行くと、弁慶の七つ道具というのがありますよ。薙刀(なぎなた)とか、鉄の下駄とか。ウソかほんとうかは別として、あれは弁慶だから使いこなせるし、役に立つわけですね。われわれ一般の人間だったら、そんなもんは持て余すだけですわ。
学問もよし、知識の習得もよし。問題は、それを消化し尽くし、使いこなすだけの人間的成長がないとダメということでしょう。ただの知識の肥満児は、てま(手間)ばっかりかかってしょうがありませんな(笑)。
(雑誌取材 昭和51年(1976)聞き手 川島譲〈経済評論家〉)
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(江口克彦のコメント)
平成以降の経営者は、現在に至るまで、「知恵」で経営をせず、「知識」で経営をしているように思います。
「時間と金をかけて」、アメリカに留学し、「アメリカ的経営の知識」を大量に学び、それらを振りかざして、「これがアメリカの経営学者の最新の説だ」、「これは、自分がアメリカのビジネススクールで学んだ最新の経営法だ」と理論理屈の知識を振りかざし、振り回して、しかし、実際は、「弁慶の七つ道具」に振り回されて、経営をしています。
いわば、「アメリカ的経営」を頭の中に詰め込んで、いざ、具体的に日本で経営ということになりますが、松下幸之助さんの言う「知識の贅肉」、「消化しきっていない知識」が邪魔をして、「日本」を忘れ、「日本の伝統精神」を疎(うと)んじ、「日本人」を無視して、「日本化」もせず、「アメリカ的経営」を鵜呑みにして、経営をする。
それでは、うまくいかないのは、当たり前で、だから、ことごとくと言っていいほど、枕を並べて、日本の大企業は討ち死に同然、ついには、昨今の無様な姿を呈しています。
「学問もよし、知識の習得もよし」でしょうが、松下さんの言うように、頭の中の知識を「消化し尽くし」、腹にストンと落として、知恵にして、経営をし、なにより、「人間的成長がないとダメ」ということでしょう。
日本の今の経営者たちは、アメリカ経営の、「ただの知識の肥満児」になっていないか、自省してみる必要があるのではないかと思います。ここは、アメリカでも、イギリスでもありません。「日本」です。「日本という得意技」を捨て去っては、日本の企業、日本の会社がグローバル競争で“予選落ち”するのは、当然のように思います。
改めて、先人たちの「和魂漢才」(菅原道真)、「和魂洋才」(明治維新、終戦後)の知恵、「日本化」の知恵を思い出し、「アメリカ的経営」の「日本化」を実践すべきときではないでしょうか。そうすれば、日本企業は、「日はまた昇る」ことになるでしょう。
「アメリカの種子」を、改良もせずに、「日本の土壌」に蒔いたところで、「きれいな花」は咲きませんし、「たわわな実」がなるはずがありません。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。