人間というものは、人に向かって、“わしはこうなんだ!”と強いことを言う人ほど、絶えず心のうちでは煩悶しているという面があるのではないでしょうか。
ですから、絶えず自問自答して、しっかりしたものを持たなくてはならない、と自分で自分に言ってきかせる。
ともすれば、グニャッとなる気持ちを、自分で叱りつけ、励ましていくことが、どうしても必要だと思います。
そういうことを日頃重ねていれば、なにか事があったときに、はっきりしたものが持てると思うのです。
その意味で、どういう道にあっても、人生なり、仕事というものは、一生が修行だという気がします。
(『松下幸之助著『経営のコツ ここなりと気づいた価値は百万両』102頁)
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(江口克彦のコメント)
松下幸之助さんは、別のところで、「仕事は、体得するもの。そのための場として、職場なり、会社なり、仕事がある。
しかも、会社という道場は、月謝を払うどころか、逆に給料までくれるのだから、こんな具合のよい話はない」と言っています。
すなわち、「会社即道場」、「仕事即修行」ということですが、これは、なにも松下さんの「発明・発見」ではなく、昔から連綿と流れている、「日本人の仕事観」でもあるようです。
行基(奈良時代)は、「労働即利他」
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道元(鎌倉時代)は、「修行即奉仕」
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鈴木正三(江戸初期)は、「業即仏行」
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石田梅岩(江戸前期)は、「諸業即修行」
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渋沢栄一(明治時代)は、「実業即修身」
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そして、松下幸之助さん(昭和時代)は、「業即道場」
どうやら、日本人のDNAには、仕事は「自己成長の手段」、仕事場は「自己向上の道場」として捉えられてきたように思います。松下幸之助さんも、例外ではないということでしょう。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。