私が事業を始めた当初は、個人経営であった。その月々の決算を、当時“店員”と呼んでいた従業員みんなに毎月発表した。いわば、末端の小僧さんにいたるまで公開したわけである。
決算というものは、株式会社であれば、公開しなければいけないだろうが、個人経営の間は別に公開しなくてもかまわない。けれども私は、それを社内に公開した。
そうすると、店員はみんな非常に明るい感じを持つようになった。それが店全体としての利益であっても、自分(たち)の働きの結果、それだけ儲かったということはうれしいわけである。
そういうことがわからないと、なんとなく、張り合いがない。「いくら儲かっているのか知らないが、随分こき使うな」といった不満も出てくることになる。
このように、いったいに私は、いわば“ガラス張り経営”とでもいうか、あまり経営の上に秘密を持たずに、内外ともに経営なり仕事のありのままの姿を知ってもらうという方針でやってきた。
そのように、ごく最初から経営のいろいろな面にわたって全員に知ってもらうという“ガラス張り経営”によって、わたって自身にも、また店員の間にも、「これは個人企業であるけれども、ただ単に松下幸之助個人の経営ではない。全員の経営である」といった感じが、ごく自然に生まれてきたように思う。
(『私の人の見方・育て方ー人事万華鏡』昭和52年刊 初版46頁)
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(江口克彦のコメント)
だいたいにおいて、松下幸之助さんは、あまり秘密をつくらないという人だったように思います。少なくとも、2人で夜遅くまで雑談していると、えっ、こんなことも話してくれるの?と思うことが、よくありました。
それはともかく、この“ガラス張り経営”について、あるとき、私が、「よくまあ、そのようなことをされましたね。会社の秘密事項が外部に漏れませんでしたか」と聞くと、「そういうことはなかったな。かえって、社員の人たちが、守らんといかんという意識が強くなるんやろうな。漏れて、困ったことは、一度もなかった」と言う。
「それより、社内が疑心暗鬼になって、やり甲斐や意欲を失うことのほうが、よほど大きな損失や。そういう秘密をつくらんということで、社員もわしの言うことを信用してくれたからな。仕事(経営)はやりやすかったな」。
なるほどな、松下さんらしいなと思ったのは、「キミ、それよりも、社員が一生懸命に取り組んでくれた結果を、社員に報告せんということは、社員のみんなに失礼やろ」。その「失礼やろ」という言葉が、いかにも、「松下幸之助」を言い表していると思ったものです。
しかし、そういう松下さんの「秘密をつくらないガラス張り経営」によって、社員たちは、松下さんが言うように、「この会社は、“松下幸之助の会社”というより、“我々全員の会社”だ」と思い感じたでしょうし、そのことが「松下電器」を、のちに、「世界的企業」にせしめた源泉の一つではないかと思います。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。