企業経営を進めていく上で常に大切なことの一つは、ことにあたって、判断し、決断を下すということである。
私の場合、どういう基準で決断するのか、一概には言えないが、一つ言えることは、常に、なにが正しいか、ということを考え、決断するということである。すなわち、こうしたら自分のトクになるとか、損だとかという利害で判断するのではない。常になにが一番正しいかを考える。そして、その正しさを基準にするわけである。だから、私の判断の基準としては、正しさをまず考える。ゆえに、自分の商売の損得というものは、おのずと第二になっている場合が多かったように思うのである。
自分のやっていることは正しいのだとか、自分はこういう使命に立っているのだから、これをやるのだ、もしうまくいかなくても、それは仕方がない、以って冥(めい)すべしだ、というような心境が、大切だと思う。そして、そのことは私心にとらわれない、ということに通じると思う。
そして、素直に全体のためにはどうあるべきかを考えてみることが大切である。そのような素直な心で広く衆知を集めて物事を考えれば、自分中心に考えるという姿を避けることもできやすくなる。
そういうことを考えながら決断していたから、私の場合、ときに迷いつつも、おおむね、あまり迷うことなく、比較的スムーズに適切な決断を下すこともできたのではないかと思う。
(『決断の経営』初版 1979年刊)
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(江口克彦のコメント)
松下幸之助さんに、幾度も言われたのは、「いつも、ことにあたっては、まず、なにが正しいかを考えて、経営をせえや」ということでした。
松下さんの言う、「正しいこと」とは、「自然の理法に適(かな)っていること」ということでしょう。自然の理法というと難しいと思われるかもしれませんが、水は高いところから低いところに流れ、物は上から下に落ちる。太陽は東から昇り、西に沈むというような、「当たり前のこと」を指すのではないか。
ですから、「当たり前のこと」に徹することが大事。その「当たり前」、すなわち、松下さんの言う「正しさ」に徹して、「決断」すること。そのように心がけることが大事であるとということでしょう。
「私」にとらわれ、自然の理法に抗(あがら)い、私心に執着して、決断するのは、水を低いところから高いところに流そうとするのと同じ。物を下から上に落とそうとするのと同じ。太陽を西から昇らせようとするのと同じではないか。
その「当たり前」、「自然の理法」、すなわち、「正しさ」に基づいて決断してきたから、比較的、「正しい決断」、「適切な決断」ができましたよ、そのために、多くの人に意見を求め、衆知を集めてきましたよ、自分は、そういうふうに考えて「決断」をしてきましたよ、と松下幸之助さんは、自分の「決断の心構え」、「決断の仕方」を明かしています。
とは言われても、言うは易し、行うは難しで、私は、松下さんから繰り返し、「正しさをまず考えろ」と言われ、心がけていましたが、実際には、「当たり前のこと」、「自然の理法に従うこと」、「正しいこと」に徹して、「決断」することが、なかなか出来なかったことは、慚愧(ざんき)に堪えないと言う以外にありません。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。