松下幸之助さんの直近で仕事をするようになって、一年ほど経った頃だったと思う。松下さんは、毎朝、可能な限り、自分のお茶室に入っていた。そのお茶室にはいるとき、私一人が同席した。あれは確か、2月頃だったと思うが、外は強い風が吹いていた。庭の杉の木立がひゅうひゅうと鳴いていた。
その茶室では、担当の女性二人が、点ててくれていた。松下さんは、当然、ごく普通にお薄を飲んだ。しかし、私は、それまでのように緊張して、飲み干した。朝のお茶の時間が終わった。いつもなら、松下さんは、私が飲み終えるとすぐに、「君、仕事、しようか」と立ち上がって、茶室を出る。ところが、その時は、すぐには立ち上がらない。うん?今日は、どうしたのかなと思った。
数分の間、沈黙が続いたが、おもむろに、松下さんが口を開いた。
「君、風の音を聞いても悟る人がおるわなあ」とひと言。松下さんの、その言葉の意味が分からないだけでなく、その意図が分からず、私はただ、「なるほど」と応える以外になかった。一呼吸おいて、松下さんは、いつものように、「さあ、仕事、しようか」と立ち上がり、茶室を出た。私も後に従った。そして、日常の仕事がはじまったが、私は、松下幸之助さんの、「風の音を聞いても悟る人がいる」というひと言が、妙に気になって、頭の中を駆け巡っていた。なぜ、あの時に、言ったのだろう、なぜ、私に呟いたのだろうと考えていた。
分からない。なぜか。1日、2日、頭から離れなかったが、ふっと、私を叱った言葉ではないかと気が付いた。松下さんに話をされても、聞かされても、考えてみれば、私の使っている言葉は、おおむね、「はい、なるほど、へえ、そうですか」の4語。松下さんは、そのような私に、「もっと問題意識を持て」、「もっと、問題意識をもって、勉強せよ」、「もっと問題意識をもって、わしの考えを理解せよ」などと言いたいのではなかったのかと思った。そうでないかもしれない、いや、きっとそうだと思った。
それから、松下さんの言葉、松下さんの呟き、それは、まさに、若い私にとっては、禅問答であったが、松下さんの言葉づら、話しづらだけでなく、その言葉、その話の真意は、と考え、思うようになった。
振り返って、ひょっとすると、私が、そういう思いを持ったことで、23年間、私を、側に置き続けてくれたのではないか。「問題意識を持つことの大切さ」を痛感した、今は昔の思い出である。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。