戦国時代に大友宗麟という大名がいた。キリシタン大名として、多くの人たちに、今でも記憶されている。その宗麟が若い頃、獰猛な猿をペットにしていた。家臣たちがくると、その猿をけしかけて、家臣たちが狼狽(うろた)える様子を見て、大笑いし、楽しんでいた。家臣たちは、主君のペットであるから、手も出せない。逃げ回る以外にない。
それを聞いた家臣の立花道雪が、宗麟のところに行く。宗麟は、いつものように、その猿を道雪にけしかける。猿が道雪に飛びかかった瞬間に、道雪は、持っていた鉄扇で、その猿の脳天を一撃。猿は即死。動転する宗麟に、道雪は言う。「人を弄(もてあそ)べば、徳を失い、物を弄べば、志を失う」と。要は、人を侮(あなど)って弄ぶようなことをすれば、徳を失うことになり、物に執着して弄ぶとすれば、志を見失ってしまうということ。この言葉は、中国古典の『書経』にある。
徳が大事だということ。志が大事ということだが、我が国では、とりわけ、指導者、経営者には、徳が求められる。徳のない指導者は、最終的に成功することはない。
ある時、松下幸之助さんも、次のように言っている。
「人間が人間を動かすということはな、これは、なかなか難儀なことや。力で、あるいは命令や理屈で動かすということも、それはそれで出来ないことはないけどね。これをやらねば、命をとる、奪う、殺すと、そう言われれば、大抵の人は命が惜しいからな。不承不承でも、言われた通りにやるということにはなる(笑)。やはりね、武力とか金力とか権力とか、そういうものだけに頼っておったのでは、本当に人を動かすことは出来んな。なんと言っても根本的に大事なのは、徳やな。それをもって、いわゆる心服させるというか、ついていこうと思わせることやな。
お釈迦さんは、偉大な徳の持ち主やったと思う。お釈迦さんの言ってることが、大衆の心を打ったということもあるけれど、きみ、お釈迦さんの徳の前では、狂暴な巨象でさえ、ひざまずいたと言われているそうや。まあ、そこまでいかんでも、経営者には、部下から、社員から慕われるような、徳というか、人間的な魅力というか、そういうもんがあってはじめて、経営者たる資格があるということやね。
だからな、経営者はな、努めて自らの徳性というか人徳を高める努力を、日頃から、しておかんといかんな」。
昔も今も、指導者は、「有徳の人」でなければならないということである。
松下幸之助は、事に当たり「深刻に考えず、真剣に考える」ことが経営では大切であると言っています。
自分でコントロールできないことを手放し、コントロールできることに集中するということではないでしょうか。
しかし、何事も一人で解決するには限界があるといわれています。一緒に解決策・打開策を考えませんか。